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1日いっぽ、もう一歩さきへ(開発教育・国際交流・ボランティア) > 国際交流

公正社会,国際理解教材や研修,形式,方法,セミナー講座の紹介。ファシリテーター講師による演劇,ダンス,音楽,写真を用いた進め方、まちづくりやアートセラピーの手法も。毎日少しの積み重ねがいつか大きな変化につながりますように。

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国際交流の記録

今まで関わってきた国際交流の記録です。

【中学生】
 はじめてのパスポート。私の住んでいた宝飯郡がカナダのバンクーバーと姉妹都市の提携をしていて、宝飯郡にある4つの中学校とシアカムセカンダリースクールはお互いを行き来する交流を毎年続けていました。各学校5人前後が代表となり、全部で20人で宝飯郡中学生カナダ派遣団をつくっていました。
中学3年生の9月末から10月初めの2週間弱、ホームステイをしながら、現地の生徒と交流したり、バンクーバー・ビクトリア・ウィスラーなどを視察したりしました。
 私の世界が広がったきっかけであり、英語をもっと頑張りたいと決意したきっかけでもあります。

※ちなみに、弟は、行くのは嫌がりましたが、シアカムの生徒のホームステイ受け入れは、友達とならやりたいと賛同し、うちへもシアカムの生徒が来ました。

【高校生】
 私たちの高校に来ていた留学生のアンナという女の子と仲良くなり、茶道を一緒にやったり、クラスが違ったので関われる時間は積極的に関わるようにしていました。
 また、幼なじみのお家に留学生がホームステイをしていたので、ことあるごとに、一緒に過ごすことができ、拙いながらも、英語で話す楽しみがありました。
 高校2年の時、ハワイに家族旅行に行き、張り切って英語を使ったのに、ホノルル周辺の皆様日本語がお上手で…英語を使えなくて逆にもどかしい思いをしました。
 
【大学生~大学院生】
 大学4年間はとことん部活な毎日だったので、部活同期と行ったハワイへの卒業旅行が久々の海外でした。
 …がコンドミニアムに泊まり、ホノルルだけでなく、オアフ一周ドライブをしたり、マウイ島に行ったりしたため、日本語が使えない場所に行けてほっとしました。
 大学生活4年間アルバイトしていたところは、韓国人留学生が多かったので、バイト中がいつも国際交流という感じではありましたが、本格的に動き始めたのは大学院生になってから。
 
 地球市民アカデミアという開発教育のプログラムに参加し、スタッフとして関わるようになってからも毎年5月にアジア学院という、アジア・アフリカからの農村リーダーが、有機農業を学ぶ学校を訪れ、バングラデシュ・インド・フィリピンなど、アジアの方々の英語に触れることが多くなりました。
アジア学院⇒http://www.ari-edu.org/main.html

 「一人よがりの英語」は何の意味もない、伝わらなければどんな英語の知識も何の役にも立たないということを実感し、猛反省。
 コミュニケーションで大切なこと、ともに生きるとはどういうことなのか、設立者の高見先生にお話を伺う中で真剣に考える機会をいただきました。
 恵まれた自然の中で、自分は世界や人とどうかかわるのかを真剣に考えることができる、そんなアジア学院が私は大好きです。

 2005年夏休みには、友人の紹介で、オーストラリアのシドニーとメルボルンの間にあるファームで1カ月ファームステイを経験しました。大自然の中、平和について、社会について、真剣に耳を傾けてくれ、議論してくれるファームのお父さんとお母さんのおかげで、私は、自分の考えていることや、やっていきたいことを大切にしていいんだ!ということに気がつきました。そして、英語についても、どんな英語でも忍耐強く話を聴いてくれ、上手に伝わるように言い換えてくれたり手を差し伸べてくれたり、たくさんの自信をもらいました。
 この時はちょっと足をのばし、アリススプリングス~ウルルに行ってきました。オーストラリアにはほぼ全部の気候帯が存在すると言われていますが、ニューサウスウェールズ州から、ノーザンテリトリーに移った時、あまりの気候の違いにびっくりしました。 
 アボリジニの方にスーパーでお会いしたり、世界にますます興味を持ち、もっと知りたい、もっと関わりたいと思うようになりました。

 同じく2005年の秋に、JOCA(青年海外協力協会)が実施している、合宿セミナーというセミーに参加し、アフガニスタン青年と、平和構築について、熱く語り合いました。
 自殺者が3万人を超える日本は、「平和」だけど平和じゃない、ということを真剣に伝えましたが、爆弾が飛んでこないならそれは平和ということだ、と平行線の議論が続き、その中で、バックグラウンドの違いの大きさを実感しました。
 確かに、「戦争がなければ平和だとは言いきれない」という平和学のヨハン・ガルトゥング教授の消極的平和・積極的平和の概念は納得するけれど、実際爆弾が飛んできて、一瞬にしてすべてが崩壊してゆくのを経験した彼らからすると、それは到底理解できるものではなくて当然だと、後々になって、彼らの側に立ってみてはじめて分かることが多かったです。
 でも、イスラムの世界では、「自殺」は許されていない、自殺者3万人というのは異常だ、それは確かだということは彼らも言っていました。
 国を超えて、一つのテーマについて語り合うことで学ぶことや気づくことがあまりにも大きく、もっともっと話してみよう、そうでないと分からない、と感じるきっかけになりました。

 2006年の夏も、同じくオーストラリアのファームでファームステイをさせていただき、この年は、シドニーのユースホステルに泊まりながら、シドニー周辺をふらふら一人旅もしてきました。
 
 2007年は、内閣府の行っている討議セッションというコースに参加しました。これは、各国から青年たちが日本にやってきて、環境・教育・伝統文化・ボランティアなどいくつかのテーマに分かれてグループごとに深いディスカッションをするというもので4泊5日の間、徹底的に議論や現場視察をしました。
⇒ http://www8.cao.go.jp/youth/kouryu/boshu/tougigaiyo.html

 毎年、日本に来る国は異なるのですが、彼らはほぼ1カ月、日本にいるので東京観光をしたり、一緒に飲みに行ったりもしました。
 プログラムの一環として来てはいるけれど、私たちと何も変わらない普通の青年だということに気付き、彼らの考えていることに刺激をもらったり、逆に私のしてきたことが彼らの参考になっているのも分かり、とてもためになりました。

 2008年1月には、世界青年の船というプログラムの外国青年たちを、浅草観光に案内しました。

 2008年は、7月に、討議セッションのコース付き実行委員として、セッションに参加し、なにを話すのか、最終ゴールはどこにするのかなど、セッションの全体的な企画や運営をしました。
 そして10月~12月にかけては、東南アジア青年の船に参加者として参加しました。
 その時の記録は、http://sseayp35.net/ にありますので、よかったらご覧いただけると幸いです。

 2009年は、10月に、今年度の東南アジア青年の船の日本国内プログラムのディスカッションセッション(日本・ASEANユースリーダーズサミット)のボランティアコースの企画・運営に参加しました。
 
 2010年2月~3月にかけて、東南アジアの友人たちをめぐる旅に出る予定です。

 生身の人と関わらなければ本当にその国のことを知ったとは言えない、という尊敬する星野道夫さんの言葉が身にしみます。
 もっともっと知り合った友人たちと徹底的に関わり、理解し合い、国を超えて、つながっていきたいと思っています。

 
 
 

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