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1日いっぽ、もう一歩さきへ(開発教育・国際交流・ボランティア) > アカデミア

公正社会,国際理解教材や研修,形式,方法,セミナー講座の紹介。ファシリテーター講師による演劇,ダンス,音楽,写真を用いた進め方、まちづくりやアートセラピーの手法も。毎日少しの積み重ねがいつか大きな変化につながりますように。

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人が好き

2006年2月 12期アカデミアプレゼン合宿で、私は、そうやって泣きました。

 2007年2月 13期アカデミアプレゼン合宿で、私は、「ありがとう」と言って泣きました。

 2008年2月 14期アカデミアプレゼン合宿で、私は、考える間もなく、涙が止まりませんでした。

 毎年違ったことを感じながらも、でも、毎年、人と関わることの喜びを、体中で味わって、泣いて、笑って。

 私は、アカデミアに出会ったことで、生きることに、人と関わることに、真っ向からぶつかっていくようになりました。

 その分、ぶつかることや、悩むことや、苦しむことも、避けなくなっただけ、多くなって。

 でも、そこから得ることも、たくさん。たくさん。

 改めて、私はすごく、幸せだって思います。

 人が好きと言って、「ありがとう」と言って、泣けることが。

 どう関わっていったらいいのか、やっていることが、押し付けになっていないか、本当に、自分が何をしたら良いのか、常に自問自答で、一生懸命やっても、必ずしもそれが、すべていい結果につながるわけでもなくて。

 考えても考えても、一緒に過ごす中でしか、見えてこない。

 一緒にいても、どうにもならないこともある。

 ストーリーができているわけじゃない、生身の人と人との関係の上に成り立つものだからこそ、もどかしさや、悔しさや、腹立たしさや、いろんなものも、同時に生まれてくる。
 
 だからこそ、時には人と関わることがこわくなったりもする。

 そんな時期があるからこそ、何かを抜け出したときの、人への信頼感や、人と関わることで生まれる喜びは、果てしなくて。
 嬉しくて。

 周りにいてくれる人が好きで好きでたまらなくて、涙が出てくる。
 それは、人と関わる中でぶつかる苦しさだとかそういうものを全部受け入れたときに、初めて、出てくるものなのかもしれない、そんなふうに、思ったりします。

 世の中には、価値観の違う人もたくさんいる。
 そんな人たちと、価値観をすり合わせながら、何とか理解し合って、共に生きていこうという勇気や希望をくれたのも、アカデミアだった。

 人と関わる喜びや、分かり合える喜びを知ることは、他のどんな人とも、あきらめず、分かり合えるまで付き合おうという勇気や希望をくれる。

 最終的に、どんなにぶつかっても、相手が、離れるまで、自分から関係を切ったりしたくない。
 分かり合うことをあきらめたくない。
 そういう気持ちを学んだ気がします。

 あと、人に対する絶対的な信頼感も。

 そんなふうにつれづれと思うのです。

 日々、いろんな人と関わり合いながら、教えてもらったり、励ましてもらったり、支えてもらったり。
 そういうことに敏感になれる心のゆとりを、常に持ち続けられる人でありたい。

 またここからが新たなスタート。
 アカデミアのみんな、部活のみんな、拓大ファシリや、討議セッションや、その他いろんなところでできているつながりを、大事に、これからも「人が好き」と思い、感謝できる毎日を。
 
 そこからちょっとずつ、ちょっとずつ、社会を変える力を、生み出していきたい。あきらめず。こつこつと。

Together we can make a difference♪
Together we can change our land♪
As we all, join your hands,
It's a miracle♪
We can make a difference♪
Together we can♪

わたしのゆめ

この前のアカデミアの帰り、運営委員何人かと、お店によって、いろいろと話しました。

 運営委員会と、メール含めて、3日に1度くらいは最低連絡取り合ってても、それでもやっぱり話し始めると、話は尽きないものです。

 運営委員一人ひとり思い浮かべながら動物にたとえたら何になるだろう…とか、その話もかなりおもしろかったのですが、それ以上に、楽しかったなあっていうのが、自分の夢について、話したこと。

 この年になって、自分の夢って語ること、そんな多くはないけれど、でも、いつまでたっても、夢、持ってていいし、夢を持ってるのって素敵だよね、って話をしてました。

 一人ひとりの夢、すごく素敵だった。

 そして、今やってること一つひとつが、その夢のための、きっと、どこか何かに結びついているんだろうなあって思うと、また素敵。

 修論に追われてる中で、そうやって、自分の足元を見つめなおせる機会が持てて、忙しい中でも、「どうして自分は今やってることを続けてるのか?」という原点に戻れた気がします。

 最近よく考えているのは、こうやって、グローバリゼーションが進む中で、いろんな問題が出てきてて、それに対抗していけるのは、一体何なんだろうって。

 貧困とか、格差とか、環境問題とか、もっともっと個別に考えていくと、次から次へとカットされていく、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」の保障たち…(最近中学生の公民教えてたため、ばっちりです)に対して、何をしたら、この状態に変化を起こせるんだろうって。

 私が修論で扱っているテーマも、まさにそれ。
 どうしたら、今の社会を動かしていけるんだろうって。

 最近、結論章に近づくにつれて、ようやく、一つ、自分の中で、自分なりのアプローチの仕方を、見出すことができるようになってきて、それと、自分の中にある「夢」が一致してることに、気づいてきて、今さらになってようやく「研究っておもしろいかも…」と思うようになりました。

 
 私のゆめ、それは、この世に生きてるすべての人が、生き生きと、自分を生きられること。自分の人生に、生きていることに、意味を見出せるような世の中にしていくこと。

 そういう社会にしていくために、おんなじ気持ちを持った人と、エンパワーし合って、今の社会のどこかから切り込みを入れていけたらいいなって思う。

 それが社会起業という形でも、教育という形でも、NPOみたいな市民活動という形でも。

 前に山西先生が言ってた。

 今の世の中なんて、本当にもろくて、変えたいと思う市民の力が、一定以上に達したらすぐに壊れるって。

 最近本当にそうなんだなって思います。
 
 いろんなところに出て行く度に、いろんな方向から社会をよくしようとしている人たちに出会うことができて、こんなにたくさんの人が社会をよくしようって頑張ってるんだって思ったら、すごく勇気が出てきてました。

 自分だけが動く必要はなくて、自分が全部をやる必要もない。
 むしろ、自分だけがやってるとか思ったら、社会は変わっていかないんじゃないかなって。

 一緒に頑張ってる人たちと、お互いを認め合って高めあって、仲間だって感じあって、いきたいなって、思います。

 研究をしながら、つぶし合う研究じゃなくて、生かしあう研究をしたいって、すごくすごく思いました。

 一緒に活動をしていく中で、コンセンサスが取れないっていう苦しさは、逆に上手に生かしていったら、ハーモニーに変わっていくっていう可能性を持ってるってこと。

 それだけエネルギーがあふれてるんだもんね。
 
 そのエネルギーを上手にお互い生かしあっていきたいなって、日々そんなふうに感じてます。

 ぶつかったり、苦しんだりを繰り返す中で、人って分かり合っていくし、良いお互いの生かし方を学んでいくんだろうなって思う。

 いい社会にしようって、一番「弱者」にされてしまう人たちの側に立とうって頑張っている人たちと、もっともっとつながって、いきたいなって思います。

 そういう希望が持てるような、「自分でも社会を変えていける!」ってどきどきわくわくするような学びの場を、つくっていきたいです。

共に生きることを学ぶ場ーアカデミアの持つ意味を考える

修士論文を書きながら、

 地球市民アカデミア(http://academia-gc.org/
 という私の関わっている開発教育プログラムの意味を、
 必死で考えていました。

 アカデミアが大好きだから、アカデミアに出会ったこと、私の人生の中で、とっても大きなことだったから、何とか、その意味を、抽出できないかと、ずっとずっと、もやもやと考えていました。

 ここで少し、修論はいってしまうのですが…

 開発教育には、「公正な地球社会づくりに参加していく」という目標があります。そのために、世界で起こっていること、実際に表に表れていないけれど、格差・貧困を生み出している構造的な問題などについて知って、考えて、理解するというような小さな目標があります。

 最終的に人々が、世界の中にある格差の問題や貧困の問題(開発途上国と呼ばれる国で起こっていることだけでなく、日本においても起こっている問題も含めて)について、きちんと知り、理解し、そして、何か行動として、社会を変えていくために動いていけるようにするには、何が必要なのか、今まで出されていないところから、それを提示したいというのが私の修論なのです。

 私はアカデミアを受講する前と後で、明らかに、そのような問題に対して、動きかたや行動が変わったという感覚があって、それがどこから来ているのか、分析していました。

 まだまだこれから、変わっていく可能性はあるけれど、でも、今の段階でいえること、それは、アカデミアは、人と関わる勇気・人を信じる勇気をくれる場であるということ、それが、根本的に社会を変えていくために必要な力を生み出してくれるということ。

 アカデミアのねらいにも実際それは書いてあって、人と関わり、協力していく力をつけるというのが、ちゃんと入っているんです。

 つまり、一人じゃ何もできないけれど、何人か集まれば、それは社会を変えていく具体的な行動へと移りうるということ。
 そのために、人が協力していくことをも、目指している。
 それがアカデミア。
 
 人が協力していくためには、やっぱり人を信頼したり、根本的に人が好きだったり、人と関わっていく勇気というか、覚悟というかが、必要になってくる。

 その力を、身につけられるのが、アカデミアなのではないか、かなり私的ですが、そんなふうに感じています。

 そう考えながら、14期アカデミアの一番始めのオリエン合宿の企画を考えていました。
 正式には、オリエンテーション合宿。

 那須にある、アジア学院という、アフリカやアジアを中心とした国々からの研修生が、共に生きる中で、平和な社会につながる、地域づくりだったり、社会づくりだったりの、理念や技術などを学んでいくという、地域社会でのリーダー養成を目指した学校で行います。

 アジア学院が掲げているテーマが、「共に生きるために」。

 どうしてアカデミアの一番最初の合宿をアジア学院で行うのか、そして、何をもって「共に生きる」とするのか…。

 答えを出そうとは思わないけれど、じっくりとその意味に、向き合ってみたくて、考えこんでしまいました。 

 共に生きる

 共生という言葉はいろんなところに出ている。
 だけど、「共生」という状態があるわけではない。
 みんな平和を目指しているけれど、「平和」という状態があるわけではない。
 共に生きるという状態も、実際にはきっと、ゴールはない。

 だけど、それを意識して、目指していくことに、意味がある。

 共に生きるために、共に生きることを目指して、共に生きていく。
 矛盾するようで、そういうことなんだろうなあ。

 人と関わることって、ときにすごくしんどくて、ときに一人、こもりたくなって、もう嫌だって、思うこともある。

 そういうとき、共に生きることって、本当に難しいと思うし、そんなの不可能だって、思うこともある。

 だけど、前にも書いたけれど、100の出来事があったとして、99がつらく、しんどいことでも、1、心が揺さぶられるくらい、人と関わる中での感動があったら、人はやっぱり、その1に、支えられるんだと思う。

 どんなに大変なことがあっても、自分を受け入れられる思い、自分の言葉をきちんと受け止めてもらえる感覚、自分のやっていることが、意味があると思えること、これを経験できているとき、私は人と関わり続けたいと思った。

 すべての人がそうであるわけではないけれど、でも、人と関わる喜びを知ることができること、それは、共に生きるために、すごく大きな力になると思う。
 共に生きることを、あきらめず、それをめざし続けようと思う。

 人のあたたかさ、一度触れたら、忘れない。
 そして、それと共に、人のはかなさも、忘れることができない。

 だからこそ、共に生きるために、人の尊厳に向き合う覚悟で生きたいと思う。

 これは、修士論文の副査の先生から、教えてもらったことば。

 ワークショップとかをやるにしても、どんな形のできたものであっても、目の前の人の尊厳に向き合う覚悟がなくては、やってはいけない。

 アジア学院からはじまるアカデミア。
 根底に、そういうものが、流れているんだと思う。

 学びの場において、人と向き合い、関わりあうことを目指すアカデミア。
 共に生きるために、学ぶ場であるアカデミア。

 アジア学院のコラムを読みながら、つれづれでした。

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