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共に生きることを学ぶ場ーアカデミアの持つ意味を考える - 1日いっぽ、もう一歩さきへ(開発教育・国際交流・ボランティア) > アカデミア

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共に生きることを学ぶ場ーアカデミアの持つ意味を考える

修士論文を書きながら、

 地球市民アカデミア(http://academia-gc.org/
 という私の関わっている開発教育プログラムの意味を、
 必死で考えていました。

 アカデミアが大好きだから、アカデミアに出会ったこと、私の人生の中で、とっても大きなことだったから、何とか、その意味を、抽出できないかと、ずっとずっと、もやもやと考えていました。

 ここで少し、修論はいってしまうのですが…

 開発教育には、「公正な地球社会づくりに参加していく」という目標があります。そのために、世界で起こっていること、実際に表に表れていないけれど、格差・貧困を生み出している構造的な問題などについて知って、考えて、理解するというような小さな目標があります。

 最終的に人々が、世界の中にある格差の問題や貧困の問題(開発途上国と呼ばれる国で起こっていることだけでなく、日本においても起こっている問題も含めて)について、きちんと知り、理解し、そして、何か行動として、社会を変えていくために動いていけるようにするには、何が必要なのか、今まで出されていないところから、それを提示したいというのが私の修論なのです。

 私はアカデミアを受講する前と後で、明らかに、そのような問題に対して、動きかたや行動が変わったという感覚があって、それがどこから来ているのか、分析していました。

 まだまだこれから、変わっていく可能性はあるけれど、でも、今の段階でいえること、それは、アカデミアは、人と関わる勇気・人を信じる勇気をくれる場であるということ、それが、根本的に社会を変えていくために必要な力を生み出してくれるということ。

 アカデミアのねらいにも実際それは書いてあって、人と関わり、協力していく力をつけるというのが、ちゃんと入っているんです。

 つまり、一人じゃ何もできないけれど、何人か集まれば、それは社会を変えていく具体的な行動へと移りうるということ。
 そのために、人が協力していくことをも、目指している。
 それがアカデミア。
 
 人が協力していくためには、やっぱり人を信頼したり、根本的に人が好きだったり、人と関わっていく勇気というか、覚悟というかが、必要になってくる。

 その力を、身につけられるのが、アカデミアなのではないか、かなり私的ですが、そんなふうに感じています。

 そう考えながら、14期アカデミアの一番始めのオリエン合宿の企画を考えていました。
 正式には、オリエンテーション合宿。

 那須にある、アジア学院という、アフリカやアジアを中心とした国々からの研修生が、共に生きる中で、平和な社会につながる、地域づくりだったり、社会づくりだったりの、理念や技術などを学んでいくという、地域社会でのリーダー養成を目指した学校で行います。

 アジア学院が掲げているテーマが、「共に生きるために」。

 どうしてアカデミアの一番最初の合宿をアジア学院で行うのか、そして、何をもって「共に生きる」とするのか…。

 答えを出そうとは思わないけれど、じっくりとその意味に、向き合ってみたくて、考えこんでしまいました。 

 共に生きる

 共生という言葉はいろんなところに出ている。
 だけど、「共生」という状態があるわけではない。
 みんな平和を目指しているけれど、「平和」という状態があるわけではない。
 共に生きるという状態も、実際にはきっと、ゴールはない。

 だけど、それを意識して、目指していくことに、意味がある。

 共に生きるために、共に生きることを目指して、共に生きていく。
 矛盾するようで、そういうことなんだろうなあ。

 人と関わることって、ときにすごくしんどくて、ときに一人、こもりたくなって、もう嫌だって、思うこともある。

 そういうとき、共に生きることって、本当に難しいと思うし、そんなの不可能だって、思うこともある。

 だけど、前にも書いたけれど、100の出来事があったとして、99がつらく、しんどいことでも、1、心が揺さぶられるくらい、人と関わる中での感動があったら、人はやっぱり、その1に、支えられるんだと思う。

 どんなに大変なことがあっても、自分を受け入れられる思い、自分の言葉をきちんと受け止めてもらえる感覚、自分のやっていることが、意味があると思えること、これを経験できているとき、私は人と関わり続けたいと思った。

 すべての人がそうであるわけではないけれど、でも、人と関わる喜びを知ることができること、それは、共に生きるために、すごく大きな力になると思う。
 共に生きることを、あきらめず、それをめざし続けようと思う。

 人のあたたかさ、一度触れたら、忘れない。
 そして、それと共に、人のはかなさも、忘れることができない。

 だからこそ、共に生きるために、人の尊厳に向き合う覚悟で生きたいと思う。

 これは、修士論文の副査の先生から、教えてもらったことば。

 ワークショップとかをやるにしても、どんな形のできたものであっても、目の前の人の尊厳に向き合う覚悟がなくては、やってはいけない。

 アジア学院からはじまるアカデミア。
 根底に、そういうものが、流れているんだと思う。

 学びの場において、人と向き合い、関わりあうことを目指すアカデミア。
 共に生きるために、学ぶ場であるアカデミア。

 アジア学院のコラムを読みながら、つれづれでした。

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